RADWIMPS 2




さて、前回はメンバーの紹介でしたが



今回は
2001年
野田洋次郎が友人・桑原彰からボーカルに誘われRADWIMPS結成。
2002年
2月5日 - RADWIMPSとしての初のライブを関内B.B.STREETで行う。
8月27日 - YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2002に桑原が締め切り前日に勝手に応募し出場。「もしも」でグランプリを獲得[25]。同年の大会に山口智史、翌年の大会に武田祐介が別のバンドで出場した。
2003年
3月 - FM世田谷が主催する高校生文化祭・青二祭出演。当初予定していたバンドの出演キャンセルにより、本番10日前に急遽出演することに。
5月3日 - 1万枚限定で1stシングル「もしも」(100円)を販売し、即完売となる。
7月1日 - 1stアルバム『RADWIMPS』発売。
8月28日 - YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2003にてゲストライブを行う。
8月 - 野田の受験を理由に活動休止。
2004年
3月 - 野田が大学合格。バンド活動を再開に伴いメンバーをチェンジ。武田と山口が加わり現在の形に至る。
7月18日 - ツアー開始。ファイナルは9月3日横浜CLUB24ワンマン。
7月22日 - 2ndシングル「祈跡」発売。
2005年
2月 - かねてから出演していた東京のFM局J-WAVEのイベント「SPUNKY JONES GARAGE」に出演。
3月8日 - 2ndアルバム『RADWIMPS 2 〜発展途上〜』発売。
3月19日 - ライブツアー「はるなっTOUR」開始。
4月-2006年3月 - ZIP-FMで「HEAT PHONICS Feat.RADWIMPS」というアーティスト番組を担当する。FM横浜で「RADWIMPSの金9!」という2時間枠のアーティスト番組を担当する。
5月25日 - 初の両A面となる3rdシングル「へっくしゅん/愛し」発売。
9月3日 - 「はるなっTOUR」ファイナルの、横浜BLITZ公演にてメジャーデビューを発表。
11月23日 - 4thシングル「25コ目の染色体」発売、東芝EMIからメジャーデビューを果たす。
2006年
1月18日 - 5thシングル「イーディーピー 〜飛んで火に入る夏の君〜」発売。
2月15日 - メジャーとしては初のアルバムとなる3rdアルバム『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』発売。オリコン初登場13位を記録。
3月5日-4月9日 - ライブツアー「RADWIMPSと行く無人島ツアー2500円? ドリンク代は別途頂きます。」開催。
5月17日 - 6thシングル「ふたりごと」発売。
7月16日 - 7thシングル「有心論」発売。
9月2日-3日 - 「セプテンバーにぃさん」開催。横浜BLITZにて初のワンマン2DAYS。
10月9日 - TOKYO FMSCHOOL OF LOCK!」のウェブサイトにてインターネットラジオ・「RAD LOCKS!」にパーソナリティとして出演開始。
11月8日 - 8thシングル「セツナレンサ」発売。オリコン初登場4位を記録し、シングル・アルバム通じて初のTOP10入りを果たす。
12月6日 - 4thアルバム『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』発売。オリコン初登場5位を記録。
12月25日-29日 - ライブツアー「ソナタと行く冬のツアー」開催。
2007年
2月7日 - ミュージッククリップ集「RADWIMPS4.5」発売。
3月5日-4月8日 - ライブツアー「TOUR 2007 "春巻き"」開催。
3月27日 - TOKYO FMSCHOOL OF LOCK!」にて、毎週火曜日Artist LOCKS!を担当する。2007年9月をもって一旦終了。
7月11日 - ライブDVD「生春巻き」発売[9]。
8月30日 - 横浜アリーナにて「セプテンバーまだじゃん。」開催。
2008年
1月23日 - 9thシングル「オーダーメイド」発売。自身初のオリコン初登場1位を獲得。
7月31日 - 「RADWIMPS LIVE 2008 オーダーメイドライブ」開催。
2009年
1月7日 - 新曲「おしゃかしゃま」「雨音子」の着うたを配信。同日、5thアルバム『アルトコロニーの定理』を3月11日に発売することを発表した。
3月11日 - 5thアルバム「アルトコロニーの定理」発売、自己最高の初動売上を記録し、オリコン初登場2位を獲得。同日、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが番組を休校するのをきっかけにTOKYO FMSCHOOL OF LOCK!」にて、毎週水曜日Artist LOCKS!を担当する(2009年5月まで)。
4月6日-6月24日 - ライブツアー「イルトコロニーTOUR 09」開催。
11月3日 - 全国FM放送協議会(JFN)主催のFM FESTIVAL LIFE MUSIC AWARDにてLIFE MUSIC OF THE YEAR(大賞)を受賞。また、同時に「おしゃかしゃま」がBEST LYRIC OF LIFEを、「アルトコロニーの定理」がBEST ALBUM OF LIFEを受賞。
2010年
6月30日 - 10thシングル「携帯電話」、11thシングル「マニフェスト」を同時発売。
2011年
1月12日 - 12thシングル「DADA」発売。シングルでは自己最高の初動売上を記録し、2作目のオリコン初登場1位を獲得。
1月31日 - TOKYO FMSCHOOL OF LOCK!」にて、2月3日まで4日間「ミニRAD LOCKS!」を担当。
2月 - タワーレコードの意見広告シリーズ「NO MUSIC, NO LIFE?」のポスターに登場。
2月9日 - 13thシングル「狭心症」発売。
3月9日 - 6thアルバム「絶体絶命」発売。また、このアルバムの収録曲「君と羊と青」が2011年度のNHKサッカー中継のテーマソングに起用された。Jリーグ天皇杯などの国内大会のほか、ロンドンオリンピックの予選や7月の南米選手権などの中継でも起用された。
3月14日 - 東日本大地震被災地へメッセージと義援金を募る特設サイト「糸色-Itoshiki-」を開設。
4月4日 - TOKYO FMSCHOOL OF LOCK!」にて、5月30日までの2ヶ月間「RAD LOCKS!」が期間限定で復活。
4月12日-8月3日 - ライブツアー「絶体延命ツアー」開催。
12月15日 - 清水康彦が監督した「DADA」のミュージックビデオが、文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に選出される。
2012年
1月 - ライブDVD&Blu-ray「絶体延命」の発売に先駆け、東京・大阪・名古屋3地区の映画館にて3日間限定ロードショーを開催。
1月11日 - ライブDVD&Blu-ray「絶体延命」発売[40]。男性アーティスト史上2組目となる、週間DVDランキングとBDランキングのそれぞれ総合部門で初登場首位を獲得。
3月11日 - 「どうしてもこの日に演奏して歌いたかった」と、YouTubeにて新曲「白日」を公開。
7月28日 - 「シュプレヒコール」をニコニコ動画にて期間限定公開。
8月1日 - 14thシングル「シュプレヒコール」発売。
11月8日 - 野田が、ソロプロジェクト「illion」を始動。
2013年
1月1日 - 3月にシングルを発売し、9月に初の野外ワンマンライブを実施することを発表。
3月11日 - 「やっぱり自分たちにできること、したいことはこれしかないや」と、YouTubeにて新曲「ブリキ」を公開。
3月27日 - 15thシングル「ドリーマーズ・ハイ」発売。
4月17-18日 - 横浜アリーナ2DAYS「春ウララレミドソ」開催。
9月6日 - RADWIMPS LIVE @YOKOHAMA BLITZ開催。
9月15日 - 野外ライブ「青とメメメ」開催[50]。
10月16日 - 16thシングル「五月の蝿/ラストバージン」発売。
12月11日 -7thアルバム「×と○と罪と」発売。
12月13日 - 12月上旬に野田洋次郎が、左手の第4中手骨を骨折していたことが明らかになる。
2014年
2月5日-7月20日 - ライブツアー「RADWIMPS GRAND PRIX 2014 実況生中継」開催。
3月2日 - NHK BSプレミアムにて、野外ライブ「青とメメメ」のライブ映像を放送。
3月11日 - 「この日にふさわしいのかどうかわからないけど、3年前の出来事があって産まれた曲」 と、YouTubeにて新曲「カイコ」を公開。
12月3日 - Blu-ray&DVD「RADWIMPS LIVE&DOCUMENT 2014 ×と○と君と」発売。
12月24日 - 野田洋次郎が参加した、大竹しのぶのコラボレーションアルバム「歌心 恋心」発売。
2015年
3月11日 - 「かつて住んでいた場所から移って避難生活を続ける人は合計で22万人を超えると言われています。その方々の『日常』が早く戻ってきますように」と、YouTubeにて新曲「あいとわ」を公開。
5月16日 - 野田洋次郎の初のエッセイ本「ラリルレ論」発売。野田主演映画「トイレのピエタ」の松永大司監督による原作小説も同時発売。
6月6日 - 野田洋次郎主演の映画「トイレのピエタ」公開。
6月10日 - 17thシングル「ピクニック」発売。
9月16日 - Blu-ray&DVD「青とメメメ」発売。
9月23日 - 山口智史が持病の神経症悪化により無期限休養に入ることが発表される。
9月30日 - 東京メトロのCMソング「‘I’ Novel」を書き下ろす。CMへの楽曲提供はこれが初めて。10月1日から放送のCMに野田も出演。
10月9日-23日 - 韓国、フランス、ドイツ、イギリス、台湾を巡る海外ツアー「RADWIMPS 2015 Asia-Europe Live Tour」を開催。
11月4日-28日 - 初の対バンツアー「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR RADWIMPS胎盤」を開催。ゲストアクトは、米津玄師、きのこ帝国、plenty、LOVE PSYCHEDELICOゲスの極み乙女。ハナレグミクリープハイプスピッツいきものがかりONE OK ROCKMr.Children
11月25日 - 18thシングル「記号として/‘I’ Novel」発売。
12月23日 - 幕張メッセ国際展示場にてワンマンライブ「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR FINAL RADWIMPSのはじまりはじまり」を開催[67]。この公演では、PA卓に置かれたカメラ1台でライブ冒頭の4曲を中継する「RADWIMPSのはじまりはじまりのさわり」と題された生配信がGYAO!にて行われた[68]。
2016年
3月11日-24日 - ドキュメンタリー映画「RADWIMPSのHESONOO Documentary Film」公開。








と、まあ若い内から活躍していたバンドなだけあってとにかく経歴が凄いことになってますね。(笑)














僕のオススメ曲はたくさんありますが、、、


ふたりごと
有心論
最大公約数
バイ・マイ・サイ
ドリーマーズハイ
ブリキ
もしも
愛し
カイコ













うーん、、、、挙げればキリがないです(笑)







RADWIMPSは恋愛系とおちゃらけ系の曲にわかれていて、
恋愛系は歌詞が深く、おちゃらけ系は徹底的におちゃらけています。(笑)











良さは聴けば分かるかな〜と思います。。





でわ

RADWIMPS







さて、今回は僕が邦ロックで最も好きで最も長く聴いているバンド、RADWIMPSについて見ていきましょう!





まずこのバンド名の意味は、
「すごい」「強い」「いかした」という意味の軽いアメリカ英語の俗語「RAD」と、「弱虫」「意気地なし」という意味の「WIMP」を組み合わせた造語である。
つまり、「かっこいい弱虫」「見事な意気地なし」「マジスゲーびびり野郎」などの意味であると言っています。
 




メンバーは

野田洋次郎(ボーカル、ギター)
桑原彰(ギター、コーラス)
武田祐介(ベース、コーラス)
山口智史(ドラムス、コーラス)


の4人で構成しております。






以下wikiより



生年月日は1985年7月5日(30歳)。ボーカル、ギター、RADWIMPSの全ての楽曲の作詞・作曲を担当。

東京都の日赤病院で生まれる。春光幼稚園に通っていたが、卒園まで残り3か月という時に、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに引っ越す。小学校はScales Elementary Schoolに2年間通っていたが、カリフォルニア州のロサンゼルスに引っ越し、Soleado Elementary Schoolに転校。その3か月後、本来行くはずであった自宅近くのSilver Spur Elementary Schoolに定員が一人空いたため再び転校。10歳の時に日本に帰国し、世田谷区立桜丘小学校に転入した。中学校は慶應義塾湘南藤沢中等部桐蔭学園中学校を受験し、合格した桐蔭学園中学校に進学。部活動はバスケットボール部。「ヒキコモリロリン」の歌詞にも登場している田中昌也は、中学校時代のお気に入りの教師である。その後、桐蔭学園高等学校に進学し卒業。大学は慶應義塾大学環境情報学部に進学するも中退。
父・昇はサラリーマン、母・享子はピアノの先生をしていた。林太郎という名前の兄がいる。「ロッキー」という名の犬を飼っていた。ライブ、ラジオ出演などでは必ずと言って良いほど帽子を着用している。手が大きく、真ん中がへこんでいる。

ベース、ドラム、ヴァイオリン、ピアノ、キーボード、シンセサイザーも演奏できる。ノエル・ギャラガーの影響が強く、これまでもギブソン・ES-335なども使用。ギターに触り始めたのは小学5年生で、木村拓哉の演奏する「夜空ノムコウ」を観たのがきっかけ。降谷建志などにも影響を受けており、当人とは「ROCKIN'ON JAPAN」2007年9月号増刊で対談している。歌詞に英語が多く登場するが、英語が堪能な理由は「英語を喋らざるを得ないような環境にいたから」と本人は語っている。また、野田本人も敬愛するMr.Children桜井和寿RADWIMPSデビュー前にデモテープを貰った際、ほとんどの楽曲が英語詞だった中に、1曲日本語での歌詞の楽曲があり、「日本語でやったほうがいいですよ」と事務所社長に伝えたという。桜井はその後、Bank Bandとして有心論をカバーしている。

2008年には、CHARAのアルバム「honey」収録曲「ラブラドール」をプロデュースし、2015年には、ハナレグミに楽曲「おあいこ」を提供している。2012年、ソロプロジェクト「illion」(イリオン[13])としての活動を発表。2015年には、初のエッセイ本「ラリルレ論」を発売。

さらに、映画『トイレのピエタ』で主演を務め、俳優デビューを果たし、第39回日本アカデミー賞・新人賞、第70回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞を受賞。







・桑原彰
生年月日は1985年4月4日(30歳)。ギター、コーラスを担当。RADWIMPSのリーダー。

神奈川県立荏田高等学校に通っていたが、16歳の時に「俺はラッドで食っていく」と決意し中退。その後、音楽学校のMI JAPAN東京校ギター科を卒業した。

野田との初対面の場所は、あざみ野のミスタードーナツであった。「"桑原"と書いて何と読む?」という質問に対して「ゲーム」と答えるほどゲームが好きで、もしRADWIMPSで無ければファミ通に勤務していたとも発言している。得意なものまねは中尾彬。ジャニーズのオーディションに応募し3次審査まで進むが、バク転の受け身が取れず不合格。

Psychederhythmというメーカーのオリジナルギターを使用。歪みはアンプでコントロールしている。





・武田祐介
生年月日は1985年5月24日(30歳)。ベース、コーラスを担当。
洗足学園音楽大学ジャズ科を卒業。

途中からRADWIMPSに加入。理由は「たまたま近くにいたから」、「(RADに入った決め手は)有名だったから」と語っている。男3人兄弟の末っ子。加入前には、YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVALに、RADWIMPSが出場した翌年に出場している。「猫に食べられたい」と言うほど無類の猫好き。手が多汗症であり、高校生の時、右手だけ汗の神経を切っている。すね毛の濃さなら誰にも負けないといい、別名「多毛田」。かなりの大食いだが、太らない。メンバーの中で最も酒に強い。自称超ドM。

中学生のとき、ギターの上手な先生が吹奏楽部の顧問だったという理由で吹奏楽部に入部し、コントラバスを始める。フレットレス・ベースを初め、多弦ベースを多く所有しており、4弦ベースはあまり持っていない。このことから、メンバーからはたまに「多弦田」と呼ばれることもある。スラップ奏法を好む。尊敬するベーシストはマーカス・ミラージャコ・パストリアス








生年月日は1985年3月20日(30歳)。ドラムス、コーラスを担当。
学園音楽大学ジャズ科を中退。

途中からRADWIMPSに加入。武田と加入次期や理由は同じ。武田とは特に仲が良く、昔はホテルもたいてい一緒の部屋だった。4人兄弟で本人以外は全員女性。桑原と同様に、「俺もラッドで食っていく」と宣言。大の麻雀好き。RADWIMPSも出場した、YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2002に「をかし」という名前のメタルバンドで出場していた。

好きなアーティストは、スピッツHY。尊敬するドラマーは村上秀一ヤマハとスポンサー契約を結んでいる。

2015年9月23日、持病であるフォーカル・ジストニアと呼ばれる神経症が悪化したため無期限休養に入ることが、公式サイトで発表された。公式サイトには病気を発症した時期や経緯、さらに山口が脱退を考えていたことなどの苦悩などが綴られている。山口の休養中は、サポートドラマーで対処するという。













メンバーはこんな感じとなっています(^^)





長いので次の投稿に続きます。。



クリープハイプ



こんばんわ!









 今回は僕が邦ロックバンドで1、2を争うぐらい大好きな、クリープハイプについて紐解いていきましょう。










今ではかなり有名ですよね〜


僕は彼らのデビュー作である「死ぬまで一生愛されてるとおもってたよ」で初めて存在を知り、車で聞き流しているうちにどハマりしました。もはや中毒です(笑)






 クリープハイプにハマった人は分かると思いますが、ホントに中毒性ありますよね〜あの歌声と歌詞は。






ボーカルの尾崎世界観の出すものすごく特徴的なハイトーンボイス


 
  と、





女性目線の赤裸々で生々しく、切なさが突き刺さるような歌詞




  

が、見事に中毒者を続出させます。(笑)






2013年あたりからCMや映画などのタイアップ曲として使われていて、そこから入っていった人も多いようです。








僕の入り曲は
「イノチミジカシコイセヨオトメ」だったんですが、
この曲もホントに突き刺さるような歌詞です。男性でも完全にしんみりできます。






「優、燦々」や「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」、「オレンジ」や「左耳」
などの有名曲はクリープハイプを初めて聞く人にはマジでオススメですよね。。とくに失恋直後なんかは泣けると思います(笑)



 

上記以外のオススメとしては「社会の窓」、「ラブホテル」、「NE-TAXI」、「二十九、三十」あたりでしょうか。



是非一度聴いてみてくださいね〜

lil wayne



暇なので。今回はアメリカ出身のラッパー、lil wayneについて語ります。




まず洋楽をそこまで聞かない方や軽く聞く程度の方は、それ誰?ってなるかと思います。
僕も調べるまでこんなにすごいアーティストだとは知りませんでした^^;








wikiにて

リル・ウェイン(Lil Wayne 本名: Dwayne Michael Carter, Jr ドウェイン・マイケル・カーター・ジュニア 1982年9月27日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナニューオーリンズ出身のラッパー。11歳にしてキャッシュマネー・レコードと契約。1997年、14歳でホットボーイズ(2001年に活動を休止)の一員としてラッパーのキャリアをスタート。現在もキャッシュマネーレコード所属。1999年のソロデビュー以後数々のミックステープ、客演で活躍。「生きている中で最高のラッパー」を自称。Weezy/ウィージーの愛称でも呼ばれる。






こう書かれても、よくわかんない。。

もう少し詳しく調べてみました。







経歴 


・1997年、彼が15歳の時、ジュヴィナイル等と共にラップグループ「ホット・ボーイズ (Hot Boys)」の一員として、正式にデビューを果たす。デビューアルバム『Get It How U Live!』をリリース。全米ビルボード200にて、初登場37位を記録した。




・1999年7月27日、セカンドアルバム『Guerrilla Warfare』をリリース。全米ビルボード200にて、初登場5位を記録。結果的に100万枚以上を売り上げ、プラチナ・ディスクに認定された。




・1999年11月2日、初のソロアルバム『Tha Block Is Hot』をリリース。全米ビルボード200において初週に約23万枚を売り上げ、初登場3位を記録した。その後もセールスは伸び、結果的に全米で100万枚以上を売り上げ、プラチナ・ディスクに認定された。




・2000年12月19日、2枚目となるソロアルバム『Lights Out』をリリース。全米ビルボード200において、初登場16位を記録した。初動枚数は、前作『Tha Block Is Hot』に及ばなかったものの、50万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されている。




・2002年7月23日、3枚目となるソロアルバム『500 Degreez』をリリース。全米ビルボード200において、初登場6位を記録。また、全米で50万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されている。



・2004年6月29日、後にカーターシリーズと呼ばれる、アルバムタイトルに「カーター」を冠した初めてのアルバム『Tha Carter』をリリース。
全米ビルボード200において初週に約11万枚を売り上げ、初登場2位を記録した。トータルでは全米で80万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されている。また、このアルバムからのセカンドシングル「""Go D.J.""」が、全米ビルボードホット100にて、最高14位を記録した。



・2005年12月6日、カーターシリーズとしては2枚目、自身累計では5枚目となるアルバム『Tha Carter II』をリリース。全米ビルボード200において初週に約24万枚を売り上げ、初登場2位を記録した。その後もセールスは伸び、結果的に全米で100万枚以上を売り上げ、プラチナ・ディスクに認定。全世界では200万枚以上を売り上げ、彼の一大出世作となる。
また、このアルバムからは「"Fireman"」と「"Hustler Musik"」の2曲のヒットシングルが誕生しており、どちらも全米で100万ダウンロードを記録し、アメリカレコード協会からプラチナムに認定されている。



その後、彼はキャッシュ・マネー・レコードの頭取に指名され、新たにヤング・マネー・エンターテインメントも立ち上げたが、2007年には、そのどちらの座からも退いている。





・2008年1月24日、ドラッグの不法所持で逮捕される。これは、アリゾナ州デイトランドで、彼のツアーバス内が捜索を受けた際に、マリファナ約115グラム、コカイン約30グラム、エクスタシー約41グラムなどが発見されたもので、ウェインの他、同乗者2名も逮捕された。この際、彼は「販売目的の薬物、麻薬道具の所持」「銃器所持を含む違法行為」などの罪に問われることとなってしまう。





・2008年3月11日、後に発売予定のアルバム『Tha Carter III』からの先行シングル「"Lollipop"」がリリースされた。この作品には、R&Bシンガーのスタティック・メジャーがフィーチャーされているが、彼はこのリリースの約2週間前に33歳の若さで他界している。後に、この曲は全米ビルボードホット100にて最高1位を記録し、500万ダウンロード以上を記録するウェイン自身の最大のヒット曲となった。





・2008年6月10日、カーターシリーズとしては3枚目となる『Tha Carter III』をリリース。全米ビルボード200において初週に約100万枚を売り上げ、初登場1位を記録した。この2008年当時では、2005年にリリースされた50セントの『The Massacre』以来となる、久々の初週ミリオン突破を果たした作品として大きな話題を呼んだ。また、リリース直後から各専門誌から軒並み高評価を獲得し、26のレビューサイトに基づいた、アルバムの平均点は84点で、これは「ほぼ全ての専門家が大絶賛」のゾーンに位置する得点であり、現時点において、これが彼の作品の中で最も評価されているアルバムである。





・2009年2月8日に開催された第51回グラミー賞において、最多8部門にノミネートされ、その内「最優秀ラップアルバム賞(Tha Carter III)」「最優秀ラップソロパフォーマンス賞」「最優秀ラップソング賞("Lollipop")」「最優秀ラップコラボレーション賞」の計4部門を受賞した。このグラミー賞受賞の効果も相まって、『Tha Carter III』は、その後も売り上げを伸ばし続け、結果的に全米で350万枚以上を売り上げる彼の最大のヒット作となった。アメリカレコード協会からは「3×マルチプラチナ」に認定され、カナダでは「2×マルチプラチナ」、イギリスではゴールド・ディスクにそれぞれ認定されている。





・2010年2月2日、通算7枚目となるアルバム『Rebirth』をリリース。全米ビルボード200において初週に約17万枚を売り上げ、初登場2位を記録した。結果的に全米で50万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定。
この作品は、ウェイン自身がロック・ミュージックを追及して完成させた作品となっており、全体的にラップ・ロック色が強くなっている。アルバムからは「"Prom Queen"」等のヒット曲が生まれる一方で、各音楽専門誌からは軒並み悪評を受ける結果となり、7つの音楽サイトにて過去最低点をつけられてしまう。






2010年4月に銃器不法所持の罪により逮捕された彼だが、その後の5月に、獄中での所有が禁止されている「ミュージックプレイヤー用の充電器」と「ヘッドフォン」をポテトチップスの袋の中に入った状態で隠し持っていたことが発覚したため、釈放される日まで「毎日23時間を独房で過ごす」ことや、「私的な目的でかける電話は週に一回だけ」などのペナルティーを科せられてしまう。






・2010年9月27日、通算8枚目となるアルバム『I Am Not a Human Being』をデジタル配信で先行リリース。その後の10月12日にボーナストラック2曲を追加したCD版がリリースされ、全米ビルボード200において初週に約12万枚を売り上げ、初登場2位を記録した。このアルバムは、彼が服役する前からすでに制作が進められていたもので、本来はニューアルバム『Tha Carter IV』のために収録されるはずだった楽曲を集めて構成されており、当初はミニアルバムとして発売される予定だった。
しかし、いわゆる外伝的な作品でありながらも、このアルバムは全米ビルボード200において長期ランクインし続け、結果的に全米で95万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されている。






・2010年12月16日、後に発売予定の『Tha Carter IV』からの先行シングル「"6 Foot 7 Foot"」がリリースされた。全米ビルボードホット100にて、最高9位を記録。2011年3月24日には、リック・ロスをフィーチャーしたセカンド先行シングル「"John"」を、そして年5月31日にはサード先行シングル「"How to Love"」を立て続けにリリースしている。
特に「"How to Love"」は、全米ビルボードホット100にて、最高5位を記録するヒット曲となる。









・2011年8月29日、カーターシリーズとしては3年ぶりとなる第4弾、通算9枚目のアルバム『Tha Carter IV』をリリース。全米ビルボード200において初週に約96万枚を売り上げ、初登場1位を記録。この初動売り上げは、このアルバムより約4ヶ月前にリリースされたレディ・ガガのアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』に継いで、2011年発売の作品において2位の記録となった。





・2011年9月の全米ビルボードホット100において、彼のクレジットが記載された楽曲が12曲もランクインするという快挙を成し遂げた。これは彼自身のシングル曲に加え、フィーチャリングされた他のアーティストの楽曲も合わせた数だが、ビルボードチャートが創設されて現在までの50年以上の間において、ソロ・アーティストとしては最多の記録であり、ビートルズが1964年に達成した14曲に続き第2位となっている[13]。












……らしいです。(笑)










とにかく作る楽曲の多くがものすごい記録を作り、ものすごい賞を総ナメにしているアーティストなのです。


ちなみにこの方の歌詞は
直球というか攻撃的というか、とにかくさらけ出すようなモノが多いです。
ずっと聞いていたらハマります。確実に。(笑)






是非一度聞いてみてくださいね〜



macklemore&ryan lewis


はじめまして、ピジョンです。

特に書きたいことはなかったんですが、とりあえずなにか書いてみよう!
って事で、最初の記事は僕の大好きなアーティスト、macklemore&lyan lewisについて書いていきます。





まず彼らはラッパーのマックルモアとプロデューサーのライアン・ルイスの2人組で活動しており、
メジャー・レーベルによる大がかりなプロモーションもなく、インターネットやオンラインでの露出とライヴで着実にファン層を広げていったアーティストであります。
(僕も初見はYouTubeでした)

自主レーベルから2012年10月にリリースしたアルバム『THE HEIST』が全米アルバムチャートで初登場2位となり、一躍注目を集めます。

しかもこのアルバムからは、

・キャント・ホールド・アス feat.レイ・ダルトン(全米シングルチャート5週1位)

・セイム・ラヴfeat.メアリー・ランバート(同11位)

・スリフト・ショップ feat.ワンズ(同6週1位)

・「ホワイト・ウォールズ(feat.スクールボーイ・Q)」(同15位)


など、シングルでも軒並み大ヒットを記録。
この年(2013年)の全米年間チャートでは「スリフト・ショップ」が堂々の1位、「キャント・ホールド・アス」が5位、アルバム『ザ・ハイスト』も15位にランクインするなど音楽界にセンセーションを巻き起こしました。ほんとにすごいです。


また、ライアンは「音楽ビデオも自分たちで制作するよ」と言っております。
前述した通り、制作から運営まですべて自分たちで手がけており、ネットを通じてファンの裾野を広げてきたSNS時代の寵児でもあるのです。(日本ではワーナーを通じての発売)


彼らはグラミー賞で新人賞のみならず、ヒップホップ部門で3冠を成し遂げました。
その時、本命視されていた黒人のケンドリック・ラマーでなく白人の彼らが獲ったのはかなりの衝撃。ちょっとした事件でした。
しかしながら、彼らが新しいタイプのヒップホップを提示し、人々の共感を得たのは誰もが認めるところ。

常に新しいジャンルを求めて活動している彼ら。PVも面白くて大好きです。。